オイラの最近思うこと

地元企業の社長を支える陰の参謀。

お節介なオジサン(障害者としての生き方の話)

自覚がしっかりとある程お節介である。

3年ほど前になるだろうか?友人に「良い人がいるから」と半ば強引に

合わせた。そしてデートを重ねていたらしい。

ところが、その友人は命を失いかねない程の怪我を負い、集中治療室へ1か月

ばかし入院。今でもリハビリを行っているが、その時点で下半身不随と言われていた。

今では何とか杖を使えば自立し、歩くことが出来るまでに回復。

僕個人からすれば驚異的な回復力だったのである。強がって、無理をしていることは

十分承知の上なのだが・・・

 

そんな彼は紹介した彼女にコンタクトは取り続けていたそうで、3年ぶりにデートを

したそうである。3年間あってない状況なので、そりゃ半身不随に驚いたそうだ。

正直、結婚適齢期にもなっているし動揺は隠せなかったそうだ。そして僕に嫁から

彼に上手く伝えてくれと言われたことがある。

「彼女がどうしたらいいか分からないと言っている。私は彼女に幸せになって欲しい。

だから、別れを切り出させて欲しい。」

という趣旨だったと思う。

 

僕自身は他人事なので、別れようと付き合おうと結婚しようとその場に応じた

対応しかする気はないが、酷すぎると思うのである。障害を負う事は決して他人事で

ないし、結婚後に負傷するリスク、共に障害を負うリスクさえある。そんな妻は僕の

(精神的な)障害を引き合いに諭したらしい。

「結婚後にわかる場合もある」と。

 

確かに気持ちも充分にわかる。生物学上であれば最も理にかなったことだろう。

障害を負った状態では子孫も残せない場合が多ければ、遺伝の可能性があるものも

ある。そんな人と結婚し、子を儲け・・・という人類が反映するためのストーリーは

描けないのかもしれない。

 

人、つまりホモサピエンスが心を持つことが出来ている意味を考えて欲しい。感情を

うまく司ることが出来るのが人なのである。つまりは人を動かす動機づけは感情にある

訳だが、その感情を抑えることが出来るのも、また人なのである。(つまり耳をふさぐこと)

「欲しい!」と思っても、今はお金がないから買わない。が出来るのが人間である。

犬や猫、もちろんゴリラなどもだが・・・食いだめをする。これは人間社会と異なり

いつでも食べられないからである。つまり、安心して食べ繋ぎ子孫を反映させられる

という保証の上に、感情を抑えて生きて行き、人間として生きて行くことにつなげる

ことができる。

 

と言う事は、わが嫁やそのお友達の彼女は、まだ人間の暮らしに達していないという

ことである。(こう書くと僕の経済力が無いように感じてしまうのは本当なので語れない。苦笑)

人間らしい生活とはその部分である。

掘り下げれば、憲法には人間としての生活を保障すると明記されているのだが、残念

ながら日本人の心は安心できるところには達していない。福祉大国になることが出来て

いないのだろう。

この際『幸福度調査』でも行ってみて予算編成を組んだらどうだろう。

 

かなり話が飛躍しそうなので、この辺で止めるがもう少し様子見に留めておきたいと

考えている。いずれにしても、不満は出てくるものだし。健常者と結婚しても離婚する

人はする。僕も決していい結婚をしたわけじゃない。障害をハンディキャップと考える

と後ろ向きになってしまう。過剰な支援もまた嫌煙しがちだし。そっとでいいんじゃ

ないかと思っている。先輩妻として頑張るのはいいと思うが、アドバイスを間違わない

でね。と言うことにだけした。

万全策としては根回しもいるかもしれない。状況が動けばPTの先生や友人への根回し

も必要なのだろうし。ただでさえ身体が崩壊すると心も崩壊するだろうからね。

 

ま、努力ですな。努力は報われますよ。報われるまで続ければ。だからね。