オイラの最近思うこと

地元企業の社長を支える陰の参謀。

ハートの貧困

世界中を見渡してみると、GDPではなくて幸福度を発表しているような国もある。

元気のある国には、それなりの施策があって理由だってある。

幸福度を追求すれば、みんな幸せになれるはずなのである。

 

うつ病にかかって半年で復帰できないと、転職はできない。断言しよう。

自分自身が身をもって感じているところだ。少なくとも一流企業には行けない。

これでプライドを傷つけられ、さらに病状を悪化させる。

 

会社勤めをすることが、コミュニティーを広げ、経済活動の発展につながり、安定すれば子供だって増えてくる。生活水準が低すぎるのが日本と言う国。

生活水準が上がれば自然と出生率だって増えてくる。何で出生率が下がっているかを考えたことがあるだろうか?

1.経済不安

  昔から若者はお金なんぞ持ってなかったが、歳を重ねるにつれて増えることが

  保障されていた。だからこそ人生のプランが立てやすかった。でも今は・・・

2.育てる環境がない

  若者は地方から都市へ移動し、就職の為に故郷を捨てざるを得ない。そうなると

  保育園に行くしかないのだが、保育園の定員が低すぎる。例え定員割れしていても

  徹底的なコスト減によって、行く気が失せるような保育園の実態がある。

3.各々の事情がある

  個別の事情がある。例えばキャリア。女性でも管理職に登用される機会が増えて

  くるにしたがって、高年収になってくる。でも、その競争に勝つにはママになると

  離脱してしまう可能性もある。イクメンが必要だが、男性も管理職を目指そうと

  すると子育てがおろそかになりかねない。

  また、産めない人だっている。そして、産むことができても親代わりになって

  くれる人はいないし、勝手に孤立してしまうこともある。

 

といったように、事情は様々だが解決策は介護の問題と同じである。

根本はマネーをばらまくことにある。保育士も介護士も低賃金である。だれもやりたがらない職業の一つなのだから、国として最大限の助成金を付けるべきである。これは個人ではどうしようもない問題なのだ。

経済の不安も、個人ではどうしようもない問題である。更に言えば経済再生の特効薬など存在しない。これは歴史が語っているのだ。ではどうすればよいか?簡単な話で時間を掛けて行くことしかない。人口が増えないと『総生産』である以上、GDPという経済指標は伸びることがない。だから、人口の増加を待つしかないのだ。だが、人口の増加を目指すには産んでもらわなければならない。そうであるならば、目玉となる金のバラマキが必要である。

介護だって、認知症がかった高齢者の世話をする仕事。そりゃぁ過酷である。一時期よりも装置が進化したからと言って、見ず知らずの高齢者の汚物を処理することだってあれば、壁一面に糞尿をまき散らす精神障がい者だっている。

それを片づけるわけだ。精神的にも体力的にも厳しいが、設備にお金がかかれば高齢者の安い年金だけでは運営ができない。だからこそ国がバックアップをして、運営資金を多少出すのだが、全く足りず行きつく末が虐待だったり、人手不足による慢性的なんサービス残業だったりする。

 

こういったところにはケアとして、助成金をしっかりと出すべきなのである。財政がどうのこうのと言っている閣僚もいるが、国債をどんどん発行して大赤字の火の車状態の財政は今更なんともならない。高く積み上げられた借金は火消しをしようにもポンプ車が届かないのである。

今回復興支援目的として、郵政株の売却を行っているが株価はバカみたいに下がってしまった。NTTの再来ともてはやされた数か月前が懐かしいくらいである。悪口をいいたいのではないが、『借金を大幅に増やしてでも変えなければならないシーンがある』のである。それがまさに今なわけで、介護殺人なんて起きてはならない。

 

結局、自宅で介護や子育ては現代じゃ難しい。薄っぺらい壁のアパートで面倒をみれば隣から苦情は言われるだろう。介護だって、医療技術は上がっているが個人に出来ることは限界がある。そうなれば、入院や新たな訪問介護の在り方、そして育児に対しても積極的な保健所の介入など、今まで以上の不安を払拭する制度が必要になるのである。

そこにはカネが掛かるから・・・と言って放置しても心の貧困になるだけである。

 

国家として支援すべき事柄の最重要課題だと思わないのだろうか?

子供を育てないと技術の継承はできないし、経済だってじり貧になるのだ。子育て、そして子育て世帯に漏れなく付いてくる介護の問題。この2点にお金を絞って経済政策を進めるのが、今の日本にはぴったりの政策だと思うがいかがだろう。