幸せになることの難しさ
最近、幸せになることの難しさをすごく感じます。
妻という存在ができてから、余計に感じる様になったのかもしれません。
ここではあえてフランクに書きたいと思います。
嫁の幸せは同時に自分の幸せでもあるはずです。矛盾するところもあるかもしれませんが、自分が幸せでないと人を幸せには出来ません。
お金がないと募金ができないから、難民を救えないのと同じです。
少し余裕があるなら募金すれば、たったの数十円の世界でもワクチンが打てたりするわけです。そうすれば、アフリカの子供たちは救われるんです。でもそのワクチンを接種しないために、日本では感染しても大事に至らないことがアフリカでは死を招いたりします。
つまりは嫁を幸せにするなら、自分が大黒柱として一人前にならないといけない訳です。お金の面ももちろんのこと、心構えだとか、守れるだけの体力だとか、最近では家事なんかもできないといけません。時には折衝力が求められることもあるでしょう。
そんなもん28歳の俺には全くないわけです。結婚というものが幸せに直結していないわけで、結婚は不幸の始まりの場合だってあります。価値観の違いはあって当然ですし、恋愛感情なんてのは数年で消えることが科学で証明されちゃってるわけです。
ともなれば、本当の幸せはもっと違うところにあるはずなんです。過ぎ去った時間を取り戻すことはできないんですが、過去を振り返ると幸せなんてことが多いと思うんです。卒業アルバムを見ると、ホッとする瞬間のような・・・
昔の方がよかったなぁ。なんてのも同じでしょう。
お義父さんのところへ『一生幸せにします!』なぁんて言ってる人がいる訳ですが、そんなたかだか300万円やそこらの給料で子持ちで楽に幸せに暮らせるはずがないんですよね。
でも、その苦労が幸せだったりするんだから人間って分からないもんなんです。
やはりタイプというのがあって、一緒にいるだけで幸せだと思う人もいれば、旦那が居ないほうが幸せで、沢山稼いでくれたら幸せという人もいるんですね。その沢山稼いで嫁に貢ぐのが好きだと言う人もいる訳です。
だから、最低限の価値観は合致しないと共同生活は難しいんでしょうね。
結婚だの離婚だの、僕はどうでもいいと思ってるんですけど『仕事と家庭の両立』というのは正直無理があると思っています。どちらかを少し犠牲にすることにはなるでしょう。これも、企業との価値観の共有が必要になってきます。
結局のところ、家庭と仕事は切っても切れない縁なんです。稼がないと生活が成り立たないのが資本主義なので仕方ないんです。全員がアントレプレナーになる訳にはいかないですし、企業として存続させるために条件を少し変えるとか、そんな小手先の事ではなくなってきているような気がします。
僕もですが、小手先だけだとメンタルをやられる人も多く居ます。家庭も必死、仕事も必死って無理なんです。
じゃあどうすればいいのか?
ここにきて国家の役割が重要になってきます。
つまり、安月給で人は使われているんです。これは仕方ありません。
しかしながら、扶助なしで生きられない国というのでは本来問題があるんです。だからこそ国の借金も増えていくわけです。良いときには国の借金は減らし、悪いときには増やすという方法で良いと思うのです。仮に、『アベノミクス』が大成功を収めることができたなら、財政出動は不要になると思われます。どんどん債務を減らせばいいのです。
じゃあ、今が良いのか悪いのかの区別をつけることが必要になってくるわけです。
今は悪い。これは好景気に沸く一時期を除いてず~と言われてきたことです。となれば、良いときはないと考えるべきでしょう。もう少し正確に言えば・・・
良い人は良い。悪い人は悪い。
二極化が進んでいっているだけの話なんです。
人単位でも・国単位でもそうです。
相互扶助の精神を重んじるのであれば、上の人が下を支えればいいんじゃないですかね?
何か言いたいことが判らなくなってきましたが、幸せへのエッセンスはどうも人への思いやりにありそうな気がしますね。